【桜井】 学校を出られてから、入社した会社ではどんなお仕事をされていたのですか?
総合インテリアの会社で物流関係の仕事をしていました。この会社は日本でも先駆けの OA が進んでいた会社でした。生産管理から物流管理すべてコンピュータで管理されていました。 20 数年前から社内メールなどもすでに可能でした。その中で、私は在庫管理や納入管理の仕事を 1 日中コンピユータに向かってやっていました。この頃は、社員教育もとても熱心に行なわれていたので社会人としての厳しさはかなり叩き込まれましたね。
◆ 独立した動機は?また、独立して順調でしたか?
やはり、組織という会社にはそれぞれカラーがあるわけです。私にも自分のカラーがあります。自分のカラーで仕事をしたいと思ったからです。
独立後は、まずパソコンとその周辺機器やソフトの購入で自分の貯金は使い果たしました。幸い、仕事は昔からの仲間がいろいろ仕事を回してくれました。その年は国の事業でIT講習会が盛んに行なわれていました。パソコン講師の仕事もやりました。初心者やシルバー向けのIT講習会が一番楽しかったです。しかし、年がかわるとそんな仕事もなくなり地元でデザイン業だけで食べていくのはかなり大変でした。ですから、子供写真館のヘアメイクのアルバイトや水産試験場の臨時職員などの仕事を掛け持ちするなど、できる仕事は何でもしました。そのころから、人から頼まれる仕事だけでなく、自分から提案していく仕事を持たなければダメだなあと考え始めました。
◆主婦になって起業することは、とても難しいと思いますが、どのように乗り切ってこられたのでしょうか?
最初に就職した会社は本当に、厳しい会社で時間と数字に追われる生活に疲れ果てていました。結婚を機に仕事はやめたのですが1ヶ月で専業主婦の生活に飽きてしまいました。(笑)子供ができても田舎で毎日同じ生活を繰り返している自分がこのまま社会から取り残されるような気がしてとても不安でした。専業主婦を6年間しました。1990年、たまたま友人から新しいデザイン会社で仕事をしないかと誘われ、アルバイトから社会復帰?しました。
子どもは男の子ふたりですが、小さいときは寂しい思いをさせていたと思います。罪滅ぼしに、長い休みには家族でよく小旅行に出かけましたね。この子たちも今は、長男は大学3年生 現在、東京の大学で大好きな歴史・社会の勉強をしています。次男は地元の高校2年生です。グランドホッケーを頑張ってやっています。ふたりとも私の仕事はとても理解してくれています。というか、あきらめているのかもしれませんね。(笑)
乗り切ってきたというとかっこいいのですが、(笑)家族の理解のおかげだと思っています。主人はいつも「がんばってみれば」と言ってくれました。SOHOなので家で仕事をしている私に、子どもたちはいつも「今どんな仕事しているの?」と声をかけてくれました。徹夜で仕事をしても朝は、お弁当を作らなければならずきついなあと感じる時もありますが、殆どは私のほうが家族に迷惑をかけていますね。(苦笑)
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