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【桜井】ちいさい頃はどんなお子さんでしたか?
小学校のころまでは、海と山に挟まれた穏やかな地方の小都市で、弟とともにまじめな両親に大切に育てられた幸せな子どもだったように思います。何事もなく大きくなっていれば、多分そのまま地方で過ごし、起業もしなかったのではないでしょうか。
転機となったのは10歳のころの両親の離婚です。母親に付いていったものの、母は病気で私たちの養育が出来なくなり、私と弟は父に引き取られました。養育者やその状況が変わるたびに揺れる周囲の目や自分の境遇に、食い扶持すら自分では稼げず、誰かの庇護を受けるしかないということは社会的にどのようなものなのか痛感しました。
また、引き取られた後、男手一つでは子ども2人の世話は難しいため、しばらくは祖母が世話をしてくれたのですが、その祖母も病気で亡くなりました。頼る先を失い、家事や育児、そして仕事との両立のプレッシャーで押しつぶされそうになって苦しむ父を見て、「誰か」ではなく自分が動かなくてはこの状況は変えられないのだと気がつきました。その後毎日家事を手伝いながら学校に通った結果、父の精神状態も落ち着きました。
「自立した社会的に価値のある人間になりたい。状況を変えたいならば自分が動かなくてはいけない」子どものころに抱いたこの2つの気持ちが、今の私を動かしていると思います。
◆デザインの仕事をしようと思ったのはいつごろからですか?
大学3回生のゼミでデザインを専攻してからです。中学では美術部に、高校は普通科ではなく美術科という学科に所属していまして、油絵を専門にしており将来は美術教師になりたいと考えていました。
絵画では画廊で展示の機会を頂いたり、何度か賞を頂いたりしましたが、自分の美術家としての才能や教師としての将来性に疑問を感じていました。自己表現や趣味ではなく、誰かの要望や何らかの意図を満たすために解決方法を提案し、結果が現れる「デザイン」は、仕組みづくりや筋道だった考え方を好む自分に合っているような気がしました。
今から振り返ってデザインを選択したことは正解だったと思うのですが、当時私の絵を応援してくださった方には今でも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
◆ソフトバンク・パブリッシング社でのお仕事は?
広告宣伝課という部署に所属していました。企業によってお仕事はかなり異なるのではないかと思いますが、私は自社で刊行される本や雑誌について、新聞や雑誌、電車内などの広告を制作・ディレクションをしたり、特定の書籍についてWebのキャンペーンサイトを作ったり、これを運営したりしていました。仕事が面白くて、特に予定がなければ朝の7時ごろから終電間際まで仕事をしていました。大規模なキャンペーン予定の書籍が刊行される際には徹夜で泊り込むこともしばしばありました。
Webの分野では優秀な制作パートナーに恵まれ、当時では珍しい検索エンジンやブログを活用したキャンペーンを実施し、オンライン書店大手Amazon.co.jpで売上1位を獲得するなどの成果がありました。現実社会で広告から流通までを網羅したキャンペーンを作ることは、多くの要素が介在し、組織力も資金も必要になってきますが、Webではアイディア次第で面白い仕掛けが少人数かつ少ない資金でも可能であることに魅力を感じました。同社では、貴重な勉強の機会を数多くいただけたことに心から感謝しています。
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